子供がADHDで悩んでいる、大変な思いをしている、もしくは今育てづらさを感じていて自分の子供がADHDなのではと悩んでいる人は多いのではないでしょうか?
今回は、注意欠如・多動性障害(ADHD)の一形態である「不注意優勢型ADHD」と診断されるまでの私と娘とのバトル、現在のADHDとの関わりについてのお話です。
アドバイスや解決策を書いてるわけではなく、ただのかにみそ親子奮闘記です。
不注意優勢型ADHDとは
ADHDには3つの種類・タイプがある
注意欠如・多動性障害(ADHD)は、発達障害の一種です。
- 不注意(集中力がない)
- 多動性(じっとしていられない)
- 衝動性(考えずに行動してしまう)
3つの症状があって、そこから
- 不注意優勢型ADHD
- 多動性・衝動性型ADHD
- 混合型ADHD
3つのタイプに分類されるそうです。
うちの娘は小学校5年生の秋に「不注意優勢型ADHD」と診断されました。
「不注意優勢型ADHD」の特徴
ADHDについて知ろう|知って向き合うADHDより引用
- 忘れ物やなくし物が多い
- 話しかけても聞いていない
- 約束などを忘れてしまう
- すぐに気が散ってしまう
- 細かいことを見過ごしてしまう(ケアレスミスが多い)
- 課題や遊びなどを途中でやめてしまう
- 物事をやり遂げることができない
- 順序立てることや整理整頓ができない
- コツコツやること(勉強など)を避けたり、いやいや行う
はい、まんまうちの娘です笑
実は小学校に入る前からどうも世間一般の普通ができないとは思っていたんですが、躾が足りなかったのかなとか、もう少し大きくなると落ち着くかもしれないとか考えていました。
大きくなっても治らないどころかひどくなる一方だった
お片付けできない、大切な物はすぐに無くすけどゴミは無くさない
勉強に集中できない事やお片付けができない事は、親の躾が行き届いていないからだと思って常に声掛け、時には厳しく叱ってもいました。が、泣いて謝ってくるわりに2分後にはケロッとして遊んでいる状態。
今思えば、娘はすくすくと己のADHD道を歩んでいたんですね。
このころの私は娘のできない事に関して、とても厳しかったと思います。娘は可愛いし喜ぶ顔も見たいけど、周りの同年代の子たちが当たり前にできている事ができていない時は鬼のように叱っていました。
外見に気を遣うようになってくるであろう小学校高学年でも、季節や気温に合わせて服を着るという概念がないのか真夏に分厚い上着を好んで着る(30度超えでも上着を着る)、シャンプーは面倒で頭を濡らすだけ(娘がドライヤー中、近くを通った時にすっごく臭くて発覚した)、寝ぐせ直しを嫌がって爆発したまま平気で登校などなど、正直私がおかしくなりそうでした。
ちなみにこれらは注意されるとふてくされるか逆ギレかまされます。それに対して私がブチギレるという毎回同じ展開。ダメな事ですが、叩いたりもありました。
とうとう児童相談所に連絡するまでに
小5のお盆の時期に、クローゼットに洗濯前の服や洗濯後の服、お菓子のごみ、飲みかけのペットボトルなど一緒くたに詰め込んでいる事、部屋が汚すぎる事で娘を怒りました。
叩いたりもしてしまって、とうとう私は「叩いても無駄、言って聞かせても無駄、何やっても無駄、もうこの子と離れないと私は何をするかわからない。」というところまで追いつめられてしまい児童相談所に保護して欲しいと電話をしました。
本当は娘と一緒に居たいけど、何かあってからでは遅いと思ったからです。
一瞬でも我が子を手にかけるという考えに至ってしまった事で自分でもパニックになっていて
「うちの子は何もできない、もはや息しかしてない。このままじゃ自分でも何するかわからないので引き取ってほしい」(要約)
といった内容を泣きながら話しました。
時期的にすぐには無理
「お盆時期で職員が少ないので、今日明日では引き取りは無理です。お母さん、落ち着いて3日ほど頑張ってもらえませんか。3日後に連絡します。」
と言われたときは3日間も娘の命を守れる自信がなくて絶望しました。すがる気持ちで電話したのに、いちはやく来てくれないなら電話番号#189(いちはやく)なんてつけないでとも思いました。
さらに「息しかしてない」と言った事で電話口で児相の人が笑ったのでヒートアップする私。(今では確かに変な言い回しだよなと思って笑い話になっていますが)
「自信はない、その間にどうなってもいいなら3日待ちます」
と言って電話を切りました。←何様なのか私
3日頑張った結果と児相の家庭訪問
親子で話し合いをして何とか娘も私も落ち着きを取り戻し、無事に3日乗り越えました。
娘とこれからも一緒に居たいし本当に何よりも大切に思っているという事も伝えました。
児相からの電話にも、「話し合って落ち着いた。もう少し頑張ってみる」と伝えて、念のため後日訪問に来てもらうことに。
当日はおじさんとお姉さん2人で訪問。おじさんと私がリビングで面談して、お姉さんは娘の部屋で娘と面談です。
終始穏やかに進み、娘と私の関係ももう緊急ではないとの事で児相の人は帰っていきました。
病院さがし
専門の病院は1ヵ月先まで予約でいっぱい
それからすぐに、同じことを繰り返さないために病院でしっかり判断してもらおう、何か解決するヒントが見つかるかもと思って病院探しを始めました。
でも、近くの発達障害の専門の病院は予約が1ヵ月先までいっぱいで、すぐに診てもらえませんでした。
すぐにでも診てもらえるところを探してネットで検索したところ、すぐ近所の精神科が発達障害も診ていることがわかったのですぐに小学生でも調べてもらえるか問い合わせると、OKとの事。
やっと光が見える
予約して娘を連れていき、結果はやっぱり不注意優勢型ADHDでした。
「お母さんも娘さんもこれまでよく頑張ったね。これは障害だからお母さんの躾の問題じゃない。怒っても治るものではないからもう直そうと頑張らなくてもいいですよ。これからはうまく付き合っていけるようにしようね」
と言われたときはほっとしました。
信じられないほどのロングスリーパーな事も相談したら、それもADHD由来と言われました。
ADHDと付き合っていく
普段の生活
ADHDと診断されてから、娘は毎日アトモキセチンという薬を飲んでいます。
それと人が多い所や騒がしい所では不安から具合が悪くなったりするので、そんな時に飲む不安・緊張を和らげる薬も出してもらっています。
学校にもADHDである事、服薬している事は報告済で気にかけてくださっています。娘も友達に自分がADHDである事を隠さずに話していて、お友達もそんな娘を理解してくれているようで環境にも恵まれています。
服薬でADHDが劇的に落ち着くわけではないですが、私もしょうがないという気持ちがあるため基本的には声掛け程度で見守っています。以前よりは症状がマシになったかな?という感じ。ロングスリーパーは健在です笑(試しにほっといたら13時間寝てた)
それに相変わらず部屋はきったない、頼んだ事は忘れるし、電子レンジで火事を起こしそうになったし、ごみをゴミ箱に入れるのは苦手なようですが、以前より家の空気がピリピリしなくなって娘の気持ちにも余裕ができたようで、できることが増えています。(ほんっと微増ってかんじ)
また、娘は料理が好きだけどまだまだ不注意が多くて1人で火を使わせるのは心配なので、私の管理下でしかコンロは使わせていません。それでも趣味でお菓子を作ったり、料理を手伝ってくれたりして頼もしくなりました。
ママの事嫌いだった
「小学生のころママの事嫌いだったけど、今のママは面白いし一緒に居て楽しいから好き」
と、先日娘に言われました。ショックと喜びを同時に与えられたー笑
たしかにずっとピリピリして怒っていたからねぇ。
でも、今の私を好きだと言ってくれたことは本当に嬉しかったです。嬉しくて私の母親にも報告するほど!
病院でADHDと診断されて対処したことで、親子関係は大きく改善できたと思います。
今は授業参観などで学校に行くと、授業が終わってすぐに私のところに飛んできてお友達に紹介してくれたり、何かと家で親子揃って馬鹿な事をして笑って過ごせているけど、疑問に思った時にすぐ病院に行っていれば、娘に長いことつらい思いをさせなかったのかもと申し訳ない気持ちにもなります。
さいごに
この先の不安
3年生になって高校受験があるので将来の事も考えないといけない時期になりました。すぐに体調を崩して学校を休む事もあります。成績も出席日数も気にしないといけない。この先このままで大丈夫なのか正直心配で仕方ないです。
さらに先の将来を考えると、もっと不安が募ります…
だけど、娘は和菓子関係の仕事をしたいと考えているようなので、夢をかなえるために親子で今できることを1つづつ解決するだけですね。
最後に私が子育ての中で心の支えにしている言葉をご紹介。
有名な山本五十六さんの名言ですね。これ、子育てに通じませんか?こんな考え方でADHDで反抗期に入った娘と向き合っていきたいものです。(これ、児相電話事件の後に買って今でも玄関の目につくところに貼っています笑)
まとめ
今回はかにみそ親子のADHDバトルのお話でした。出口が見えなくて悩んでいる人に少しでも届けば幸いです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。